今回取り上げるのは、フランスの作曲家クロード・ドビュッシー(1862-1918)自らの手になる著書。ドビュッシーはドイツ音楽の影響を強く受けていた当時のフランス音楽界に於いて、アレクシ=エマニュエル・シャブリエ(1841-1894)・ガブリエル・フォーレ(1845-1924)ら先達の示した道に助けられながらも、見事にユニーク かつ これこそフランス!という音楽を生んだ作曲家です。
これが大変面白いもので、ドビュッシーのピアノ曲を思い出すとでも言いましょうか?一文一文は短いもので、その為、読みやすく、主張も明確。その語り口は、クールで洒脱!皮肉まじりにも見えますが、強い信念に裏打ちされたもの。
試みに幾つか引用しますと、
バッハの音楽においてひとを感動させるのは、旋律の性格ではない。その曲線である。さらにしばしばまた、多数の線の平行した動きだ。それらの線の出会いが、偶然であるにせよ、必然の一致にせよ、感動を誘う。
いままで音楽はまちがった原理に立って安閑としていたんです。あまりにも「書く」ことを心がけすぎたのです。音楽を紙のために作っているのですよ。耳のために作られてこそ音楽なのに。
杉本秀太郎訳『音楽のために ドビュッシー評論集』 p.282
聴衆というものは本来、音楽に対して少しも敵意を抱いてはいないものだ。作曲者の名前にも頓着していないことさえよくある。このことは専門家には大変よい薬になる教訓だろう。けれども、われわれのなかには恐るべきディレッタントがいる。そういう連中は音楽を楽しむために演奏会にやって来るのではない。
杉本秀太郎訳『音楽のために ドビュッシー評論集』 p.218
・・・といった調子。ドビュッシーの音楽観が伺えるのは勿論、演奏者や聴衆への意見も上にご覧の通りで、音楽という範囲の中での話題は豊富。こういった切れ味の良い言葉がそこかしこに出て来て、途中で頁を閉じるのが惜しい一冊です。
ちょっと気をつけないといけないのは、その時々で、正反対にも見えることを書いていることで、それは例えば同胞のベルリオーズについても、影響を脱する為の格闘相手だったワーグナーについても見られます。こういったことは、その時々でなにを強調したかったのか、敢えてどういう立場を取ろうとしているのか、などさまざま思い巡らせながら考えると良いのでしょう。
さて、このドビュッシーの音楽論集といいますか、音楽随想集といいますか、この本には今現在二冊の邦訳が出て居りまして、どちらにするか悩むところ・・・
一つは、岩波文庫から出ている平島正郎訳『ドビュッシー音楽論集―反好事家八分音符氏』。
今ひとつは、白水社から出ている杉本秀太郎訳『音楽のために ドビュッシー評論集』。
この二冊の関係はちょっとややこしいのですが、ドビュッシーの公にしたエッセイや評論を基にしており同じものながら、実は低本が異なります。簡単に言うと、平島正郎訳の低本は杉本秀太郎訳の低本のダイジェスト版。
平島正郎訳の低本は、杉本秀太郎訳の低本に比べると量としておよそ1/3で、章立ても発表時の順番と異なりますし、別々の時期の文章を一つにつなげる再編集もなされています。ただ、それはドビュッシー自らの手による抄録・再編集なので、ドビュッシーの意図がねじ曲がっているといったことはないと言えましょう。とは言え、杉本秀太郎訳には収録されている最晩年の文章やインタビュー、アンケートの類いがすっかり抜けているのはちょっと残念なところ・・・
個人的には、杉本秀太郎訳『音楽のために ドビュッシー評論集』でじっくり味わうことをお勧めしたいところです。
しかし、平島正郎訳『ドビュッシー音楽論集―反好事家八分音符氏』は小粋とでもいいますか個性的な楽しい訳で、比較的長く付けられた注釈がこれまた素晴らしく、読者にはドビュッシーの文章の背景を知る多いな手助けとなり、捨てるには偲びません。
方やドビュッシーの元々の文章を余すところ無く集め、順序も公表通りに並べた言わばオリジナル版。方やドビュッシー自らが成したダイジェスト版。そもそも性格の違う本と思って、双方お読み頂くのが良いのかも知れません。
さて、この二冊がどの程度の内容の違いになっているのか― これは上の説明でもなかなかはっきりしないことなので、一つ対応表を作ってみました。
左に杉本秀太郎訳『音楽のために ドビュッシー評論集』の全ての章を書き出し、それに対応する平島正郎訳『ドビュッシー音楽論集―反好事家八分音符氏』の文章を右に挙げております。右側で空白の欄は、文庫版に載っていないものです。
ご検討のお役になれば幸いです!
こう見ると文庫版に漏れている文章で、面白そうなものがたくさんあることに気づかされます・・・
では!